重度妊娠悪阻、子宮頚管ポリープ〜死産

重度の妊娠悪阻から入院となり、その後子宮頚管ポリープから炎症を起こし死産となった経過を細かく掲載しています。

2000年お正月、滅多に熱を出す事も無いのに正月そうそう熱を出し、寝正月になった。
今思えば2000年は最初から良くない出発だった・・・

結婚して3年が経とうとしていた。主人が退職した事と父が生命に関わる大病をした事もあり、そろそろ子供をと考え始める。
妊娠に関する詳しい知識などまったく無く、あまり深く考えた事も無かった。
自分の身にこれから起こる事は想像もしていなかった。妊娠して出産する事を疑う事も無かった。

2000年7月生理が遅れる。毎月きっちり来る生理が来ないので妊娠かもと思い、妊娠検査薬を買う。陽性。

7月21日
引っ越して来て土地勘が無かったので、病院を探し市内のF総合病院の産婦人科を受診。
この病院は産科も婦人科も一緒で常駐の医師が3人、その他週に一度ほど大学病院から来る医師が二人という体制だった。
産婦人科はこれまで不正出血があり受診した事はあるが、その他は検査などもした事が無い。
妊娠前にちゃんと健診などの検査をしていなかった事を一生悔やむ事になる・・・

この時診察を担当した医師、M医師(男性)が今後の担当医師となった。
妊娠5週。心拍が確認できていないので、はっきりわかるのは心拍がわかるようになってからですと言われる。通常受ける尿検査や血液検査、子宮頚管ガン、性病の健診をする。
この頃は体の倦怠感を感じていた。食欲が無く、なんだかだるい・・・

その後栄養を取らなければ・・・と思いながらいろいろ飲んでみたり、食べれる物を食べるが・・・吐くようになる。主人から心配だから一度病院に行ってみようと言われる。私も主人も妊娠やつわりの事など詳しい事は知らなかった。

7月25日 妊娠6週
つわりがあり病院を受診。つわりで辛い事、食べても吐く事などを説明。
入院はどうですか?と聞かれる。
入院??入院など経験した事が無い私はちょっと入院なんて・・・という気持ちだった。
点滴をすると症状が緩和する人もいるから、点滴をして様子を見ましょう。それでもあまり症状が悪いならまた受診する事と言われる。
輸液とビタミンだったと思う。ピンク色をしたビタミンの入った点滴がとても臭く・・・腕から針を入れて点滴しているのに鼻にツーンと臭う。つわりでそれだけ臭いに敏感になっていた。

その後ついで?のように・・・子宮口にポリープ(子宮頚管ポリープ)があるけど聞いてる?と聞かれる。
ポリープ??父がガン患者である私はちょっとびくっとする。ポリープですか??
出産に支障は無いよ。今刺激すると流産しやすくなるから、出産後にポリープを取る。ポリープがあってもみんな出産してる・・・というような説明だった。
ちょっとびっくりしたものの・・・たいした事ないんだと思いほっとする。
この時の医師は担当のM医師は外来担当で無く、部長のU医師だった。

点滴のおかげか2、3日ちょっとラクなような気がしたがその後、日に日に吐く回数が増える。なんとか飲み物だけでもと思い、野菜ジュースなど飲む。が飲んでもすぐ吐くようになる。酷くなる状態を見て主人が病院に行くように言うが、もう少し頑張る・・・と思い次の健診まで自宅で過ごす。妊娠で入院なんて、つわりって病気じゃ無いし・・・この頃もそう思っていた。

7月31日 妊娠7週
健診日。心拍が確認される。赤ちゃんは順調。
つわりが酷くなり、水分の補給も困難な事から重症妊娠悪阻(おそ)と診断され入院となる。
赤ちゃんはまだまだ小さく、ママの体から勝手に栄養を取るので食べれなくても良いが、水分は取れないと尿毒症になりこれは赤ちゃんにも良くないとの事。重症になると単なるつわりとは違い、立派な病気だと言われる。

入院して午前、午後の2回の点滴(輸液、ビタミン)での治療となる。
食べれる物を食べれば良いと言われる。
もともと、体重は軽めな方。痩せていく・・・
点滴なども経験した事が無く・・・これまでの人生大きな病気もした事なければ、日頃から風邪などもあまりひかない方だった。点滴をするのに血管が細く入りにくい事、すぐ漏れてしまう事を知る。でもこの時は日に2度の点滴だから特に問題も無かった。

入院生活は初めての事・・・3人部屋だった。両隣は婦人科の患者さんだった。
食事中に気持ち悪くなり吐いてしまう事があり、申し訳ない気持ちだった。ガマンしようにも出てしまう・・・吐く事がとても嫌で嫌でしょうがなかった。つわりで吐いてしまうのは仕方の無い事なのかもしれないが・・・とにかく吐かないようにぐっと口を閉めてこらえていた。どうしてももうガマンできなくなって吐くという感じ。吐くまでの間とにかくムカムカが酷く辛かった。吐くとほんの少しの時間すっきりするが、またむかむか・・・ほんとに辛い。

なんとも表現できない体のだるさ。永遠と続く吐き気。頭の冴えた二日酔いか乗り物からずっと降りれない乗り物酔いか?そんな感じ。
もともと、胃腸は弱く乗り物にも弱く良く乗り物酔いにもなったが、こう永遠続く吐き気は初めてでこんなに辛いとは・・・妊娠している喜びを感じるよりもとにかく辛いという感情でいっぱいだった。周りでこんな話を聞いた事が無かったし、どうしてこんなに自分だけつわりが酷いのだろうと思っていた。

8月16日 妊娠9週
診察。赤ちゃんが順調に育っている。エコーで頭と体を確認できた。

8月17日 妊娠9週
悪阻の症状が軽くなり退院となる。つわりが無くなった訳では無いが少しは食べれるようになった。ゆっくり体を休め、食べれる物を食べれば良いと言われる。いずれ治まるから・・・と。

つわりはまだまだ治まる気配なし・・・夏だという事もあり暑くて暑くてしょうがない。妊娠して体温が上がっているのだろうが、異常な程暑くてクーラー無しではとてもいれない。それにムカムカしていて暑いと余計に気持ち悪くなる。
朝、目が覚めると同時に吐き気に襲われる。グレープフルーツなどを食べるがその内吐く事が多くなり、だんだんと苦手になっていった。次の健診までなんとかやり過ごす。

8月25日 妊娠10週
健診日。つわりの状態が以前より強くなっており再度入院するように言われる。水も吐いてしまう為24時間点滴にすると言われた。24時間点滴が退院まで続く事になる。つわりの状態が良くなるまで入院継続するとの事。

診察。赤ちゃんの発育は順調。エコーで手、足が確認できた。
食べれない、吐く、良く眠れない事もありげっそりする。体重も減少まっしぐら。吐く物が無くても胃液を吐く。食道やのどの辺りが胃液で炎症を起こしたのか、痛みを感じる。
次は5人部屋。出産の人と同じ病室。みんな元気でにぎやか。出産後の人もいてお祝いに来る来客も多く、一人で寝ている時はとても辛かった。
でも患者さんの中には私もつわり酷かったよ〜と声をかけてくれる人もいた。もうすぐきっと治まるよ。そう言われるとちょっと励まされた。

8月27日 妊娠10週
診察。赤ちゃんの発育は順調。手足の発育も問題無し。
つわりはまだ治まる気配なし。24時間点滴継続。とにかく臭いに敏感で食事の時間がとても辛い。タオルで鼻、口を覆うが臭いが鼻について仕方無い。

9月5日 妊娠11週
診察。赤ちゃんの発育は順調。
赤ちゃんがどんどん成長している姿に、つわりは辛いけれど頑張らなければ・・・と思う。
お腹の中でぷかぷか浮かんでいる我が子がとてもいとおしかった。

この頃から少しづつお腹が出てくる。痩せている事もあってかぽっことしてくる。苦しいけれど時々お腹を触っていると気持ちが落ち着く。いつかは治まるのだから・・・と心の中で思う。
子供のいる友達に子供の写真を送って貰った。もともと子供は好きな方。友達の子供もかわいい。辛い時、送ってくれた写真を見る。かわいい姿に励まされる。

24時間点滴。ずっと針が入ったまま。点滴が入りにくい、漏れやすく大変。すぐ漏れる。また入れなければならないが・・・入らない。腕中青あざになる。
ここの病院では点滴は看護婦さんが入れる。人によっては入りにくい為ギブアップ。上手な?看護婦さんを呼んで来る事もしばしば。でも両手を使いなんとか継続していた。

9月○日 日にちは不明 12、13週の頃
おりものが茶色いっぽいような気がして、周って来た看護婦さんに言ってみる。
何か思った訳でも無かったのだが・・・。
看護婦さんが直接ちょっと見せてねと言って見る。看護婦さんは念のため診察して貰いましょうと言った。

診察。子宮口にあるポリープから少量の出血があるとM医師より説明を受ける。出産に支障は無い。現時点ではポリープは取れない。ポリープというと良くあるのはイボのような物で、こういうポリープはポリープをねじるとぽろっと取れるが、あなたのポリープはぐちゅっと根が太くてくっついているから取れない。根の太いポリープを無理に取ると子宮口が炎症を起こし流産する可能性があるので、出産後取ると再度説明を受けた。

出血との事で少し心配になる。でも医師の言う事を信じていたし、疑える程の知識も自分自身持っていなかった。

その後も茶色っぽいおりものは続いていたが特に症状は変わらなかった。つわりも相変わらず続く。

9月15日 妊娠13週
その時主人が来てくれていた。トイレに行きたくなりベットから起きる。ベットから降りた瞬間、どばっ・・・生ゆるいお湯のような物が足先までつたっていく。びっくりしてパジャマのズボンの中を見た。出血の混じったものが出ていた。びっくりして看護婦さんを呼ぶ。すぐに診察しましょうと言われる。車椅子に乗って診察室へ。

診察。赤ちゃんは元気である。ポリープが炎症を起こしていると説明を受ける。出血が大量だった為脱脂綿のようなものをぐいぐい詰めた。子宮口のポリープと言ってもポリープ自体は子宮の外で膣側にあるが、子宮の中の組織と繋がっていて無理に取ると子宮の中で炎症が起こると説明された。
診察してくれた医師は週一度大学病院から来ている医師だった。担当医師は不在だった。
びっくりしたものの、元気にお腹の中で泳いでいる子供を見て安心する。死産するなんて事はこの時もまだ考えた事が無かった。

9月16日 妊娠13週
翌日、担当医師から診察したいと言われる。出血は少量になっていた。
診察。ポリープは黒ずんでいてかなり前からあったような感じのものだと言われる。心配な為再度癌健診をしたいと言われる。ポリープは取れないと再度言われる。

沢山何か出たのですが・・・と聞くと、おりものと言われる。おりもの??パジャマのズボンが濡れる程のおりもの?なんか良くわからないが・・・え?と思う。
主人にその事を話すと主人が看護婦さんに本人が心配しているから、ちゃんと説明して下さいと言ってくれた。
主治医が来て、あれはおりもの・・・と再度言われる。

私自身の知識は乏しく、これが破水で無いのか?という事がわからなかった。次の妊娠や出産を経験してみて、あれは破水では無かったのか・・・と今でも思う。
イソジンでポリープがあるところを消毒をした。その他は治療など無し。

9月18日 妊娠14週
診察。胎盤も完成し赤ちゃんも順調。ポリープの炎症は引き続きみられるとの事。
この時見た子供の姿が最後になる。エコー写真を見るととても良く映っていて最後に私に残してくれたのかと今でも思う。食べれない環境の中で12センチまで成長してくれた我が子がそこにはいた。
     
9月20日 妊娠14週2日
朝起きてトイレに行こうとベットから体を起こした瞬間、15日と同じような生ぬるいものがどっと出る。トイレに行きたい事もあり、急いでトイレに行き見てみると出血と水っぽいものが出ていた。
看護婦さんを呼ぶ。車椅子を持ってきてとりあえず病室まで行く。まだ朝7時すぎだった。ベットに横になりじっとしている。看護婦さんは先日あった出血と同じだなと認識したようだった。それからしばらく一人でベットにいた。

看護婦さんが来てまだ担当の医師は出勤していない。当直の先生なら見て貰えるけど・・・と言われた。
当直の先生でいいのでお願いしますと言った。

車椅子で診察室へ。お腹がきりきり痛む。診察台に上がる前にすでに血の塊が出ていた。どうなってしまうのだろう・・・
まだ当直の医師は来ていなかった。診察台に上がった。
しばらくして赤ちゃんが体外に出てしまう。
既に胎盤はできていて赤ちゃんが外に出てしまった状態なので、胎盤などを外に出す処置をしなければならないと言われた。そのまま処置する。あまりの痛さに泣き叫んだ。看護婦さんが手を握ってくれていた。途中から痛がる私を見て看護婦さんが医師に○○(薬の名前)を。先生。と言って注射を打った。麻酔のようなものだったのか?意識が少し遠のいていった。何も考えられないが涙がぽろぽろ出てくる。

処置が終わった。しばらくこのまま診察台で動かないで休むように言われる。家族に連絡を取るからと言って看護婦さんが出て行った。しばらく一人で目をつむりながら診察台の上にいた。何も考えられない・・・ただただ涙。
担当医師が出勤したようで来る。ポリープが炎症を起こした事により、子宮口が開き流産したと説明される。(言葉の定義では死産にあたりますが、医師はこの時期の子供の死は流産と表現しています)

部長医師や良くお世話になった看護婦さんも来てくれた。頑張っていたのに・・・(つわりが酷かったからという意味だと思う)そう言って体や頭をさすって出て行った。それからどれくらい横になっていたのだろうか・・・一人で目をつむったり、天井を見たりしながらただ泣いていた。何も考えられない・・・

主人が病院の衣服を着て入って来た。いつもと同じ優しい顔をしていた。きっとびっくりしたと思うが・・・そんな表情は見せなかった。
私は主人に、ごめんね・・・そう言ったように記憶しているが、その他は良く覚えていない。優しく頭をなでてくれた。

しばらくして看護婦さんが来る。そろそろ病室に戻りましょう。あまり今まで接した事の無い看護婦さん。ドライな対応にちょっとぐっときた。もう歩けるからと言われる。医師や看護婦さんというものはどんな時も表情に出してはいけない職業かもしれないが・・・

主人と二人とぼとぼ歩きながら病室に行く。カーテンを閉め切りベットに横になる。
子供がいなくなった事で吐き気は当然のように治まる。お腹を触ってみるとぺっちゃんこになっていた・・・涙は出るけれどパニックにはならなかった。何故だろう・・・長い間食べれず、体重はすでに40キロをきっていた。食べずに寝てばかりだから歩くのにもガクガクしていた。人間というのは知らず知らずのうちに自分の体を守るものなのかもしれない・・・自分の体を守る為の防衛本能が働いたのかもしれない・・・なんだかぼーっとしていた。

涙は出るが・・・主人と二人でテレビをつけてベットの上で過ごす。
看護婦さんが来る。あまり知らない年配の看護婦さんだった。赤ちゃんはもう14週になっているので火葬しなければいけません。明日葬儀会社の人に赤ちゃんを引き取りに来て貰いますが、お見送りはしますか?そのような内容だったと思う。
このような知識もまったく無かったが、お見送りします。そう言っていた。考えるという訳でも無く。とっさに。
赤ちゃんはまだまだ小さく、骨も弱いものなので火葬後は何も残りません。棺の中におもちゃなどを入れたければ、入れれますので用意して下さい。そう言って出て行った。
小さな我が子が火葬されるなんて・・・小さな体を火葬されるなんてかわいそう・・・とても不憫に思えた。涙、涙・・・

後から知ったが法律で12週過ぎたら火葬する事になっているらしい。それを知ってうちの子は火葬して貰えただけでもありがたく思った。どんな小さな子も妊娠とわかった瞬間から、親にとってはかけがえの無い命。たとえ法律で12週からと決まっていてもみんなちゃんとして欲しいはず・・・そう思った。

今でも思う。あの時お見送りして良かったなと。とても悲しかったけれど。していなかったらきっと一生後悔しただろう。

入院中いろいろな看護婦さんが良くしてくれた。死産後は今まで担当してくれた看護婦さんはほとんど来なくなった。それだけ流産、死産した人への看護は難しいものだからかもしれない。年配の看護婦さんばかりになった。

まだ若くてきゃぴきゃぴした看護婦さん。慣れない事も多いようだったがほんとに良くしてくれた。シャンプーをしてくれたり、体を良く拭いてくれた。
私と同じくらいの年齢の看護婦さん。お子さんがいて、お腹に私より2週間大きな赤ちゃんがいる看護婦さん。つわりつらいよね・・・そう言って良く励ましてくれた。自分も妊娠していてしんどいだろうに、私を連れてシャワーに入ってくれたり・・・看護婦さんって大変な仕事だなと思った。
その後ほとんどの看護婦さんにお礼も言えずに退院になってしまう。ナースステーションを遠くから見ると姿は見えるが・・・私が声をかけてもかえって困られるだろう。そんな事を考えた。

私より少し年齢が上の看護婦さん。子供さんももう大きく、ご主人とは死別しているようだった。病棟の担当じゃない日も必ず朝や帰り際のぞいてくれた。今日はどう?また来るからね。ほんとに優しい看護婦さんだった。この看護婦さんだけは死産後も来てくれた。涙をぼろぼろ流しながら、言葉にならず私の体をさすってくれた。私も一人子供を亡くしてる・・・そんな事も話してくれた。

昼食の時間になったのか昼食が来る。もちろん臭いも気にならない。が、トラウマになったのか病院食は食べたく無かった。ちゃんと食べなければ体に良くないと我ながら冷静に思う。
主人が手作りのおいしいお弁当が売っているから、エビフライ弁当を買って来るよと言ってくれた。私の大好物のエビフライ。二人で買って来たお弁当を狭いベットの上で食べる。子供を亡くしたあとだというのに、久々に食べた食べ物はとてもおいしかった。心と体は別という事なのかもしれない・・・体は食べ物、栄養を欲しがっていたのかもしれない。おいしいと感じる自分がなんだか嫌だった・・・

死産したその日のお昼を過ぎてから、看護婦さんが来る。担当のM医師が面会したいとの事。主人も一緒にとの事。病状を説明するため。
ナースステーションに行く。ポリープが炎症を起こし子宮口が開いたことで流産したと再度説明を受ける。
なんだか何も言えなかった。どうして?という気持ちは確かにあったが、まだぼっーとした感じの中で、もう子供はいないという事実だけは自分なりに理解していて、どうしてだかもう流産してしまったのだから・・・何を言っても戻って来ない。そんな気持ちが支配していた。

主人は私が納得したのであれば・・・そう言ったと思う。後から考えると、納得・・・このような結果になった時納得する事など無いと思う。
けれど私は医師に抗議しなかった。大丈夫と言ったのに・・・どうして?という気持ちはあったが。あの時の自分の気持ちや全ての状況はわからないのでどうしてだか今もわからない。
医師からすれば、抗議しなかった私は納得したと取られたかもしれない。
私は処置がとても苦痛だった事と医師に一日も早く退院したいと告げる。
医師から治療を2、3日しなければならないからそれからと言われる。
処置は当直の医師であり、ポリープがどうなったかわからないので確認したいと言われる。

主人は夜遅くまでいてくれたが病院だから帰らなければならない。一段と寂しくなる。一人になり見てもいないテレビをつけ、涙をぼろぼろ流す。看護婦さんが周って来ると寝てるふりをした。長い長い夜、ほとんど一睡もできなかった。

9月21日
翌朝もあの看護婦さんが来てくれる。眠れたかな・・・眠れなかったみたね・・・ゆっくり体を休めるように言われる。

担当医師の診察。診察した結果、ポリープは見当たらない。流産の後の処置の際に取れたかもしれないと言われる。今後の診察時も確認すると言われる。ポリープは無くなっていたがその箇所を再度癌健診すると言われる。どうも医師は癌ではないかと疑っていたようだった。
私はなんだかどうでも良かった・・・子供が亡くなってしまった事だけで頭がいっぱいだった。

子供のお見送り。ナースステーションをまだ越えて奥に入り小さな部屋に通される。葬儀会社の人が一人いた。小さな棺があった。菊の花が用意されていて、棺の中に入れる。どう祈ったのかも良く覚えていない。ただただ涙。
お別れ・・・エレベーターのところまで見送る。義理の両親も一緒に見送ってくれた。その後主人と二人手をつなぎ、とぼとぼと病室に戻る。しばらく大声で泣いた。

後からいろいろと調べて思った事だが・・・火葬場まで行ってあげれば良かったなという事と、中には14週でも小さな骨、灰を残している人もいて、灰ひとつでも残してあげれば良かったなと思う。
火葬の書類には性別は不明となっていた。知識が無く、性別がこの頃なら医師に聞けばわかったかもしれないのに聞かなかった。男の子だったのか、女の子だったのか今でも考える。ちゃんと聞いてあげれば良かった・・・

9月22日
退院する。とにかくぼっーとしていた。


その後2度外来診察する。
再度ポリープが無いか診察したが見当たらなかった。流産後の処置の際に取れたとの結論。癌健診は問題無し。
今後の出産も重症悪阻(つわり)になる可能性は高い。これは体質だからと言われる。次回の妊娠はポリープも無いので心配いらないと言われる。
妊娠前の健診は必要か?と医師に聞いた。
必要無いと言われる。もうポリープは無いからと・・・
この返答はちょっと疑問・・・人によってはポリープというのは再発する事の良くあるもの・・・どうして大丈夫と断言できるのだろう・・・

私の死産の原因になった子宮頚管ポリープとは・・・
子宮頚部(子宮の膣に近い側)にできるポリープでポリープ自体は膣へ出ている場合が多い。そのほとんどは良性ポリープ。ごくまれに悪性。悪性の場合は子宮頚管ガンでガン自体がポリープ化している場合などにありえるらしい。
妊娠さえしていなければ、大きなものでなければ外来でとれるものです。通常なら簡単な処置ですが、妊娠していると簡単には取れません。刺激すると流産する可能性もある為。
安定期に入って取るとか出産後取るとかいろいろな考え方があるようです。
私はこのポリープから炎症を起こした訳ですが、いかに妊娠中は病気があった場合治療が難しいかという事だと思います。できれば病気が無い方がいいのは明らかです。
子宮頚管ポリープについて詳しく知りたい方は、子宮頚管ポリープのページを読んでくださいね。

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