赤ちゃんの供養について、〜しなければいけないと言われる方がいます。
ママやパパの赤ちゃんに対する愛情はとても大きく、深いものだと思います。
ママとパパが良いと思った方法で、供養すれば良いと思います。形にこだわる必要は無いと・・・思い方はそれぞれ。思うこと・・・それが最大の供養かもしれませんね。
こういった場合もパパは少しピンとこなかったり、パパはどちらかというと目の前にいるママのことを心配することが多いように思います。
ママにとって供養すること、たとえばお寺で供養したり、お家の中で供養したりすることが悲しい気持ちを大きくするのではないか・・・と考えられるパパもいるかもしれません。
あらゆる場面で、ママとパパの感情の温度差を感じることがあるかもしれません。でもそれはパパが赤ちゃんを忘れているわけでも、愛情が無いわけでも無くママがとても心配だからだと思います。
また、実際お腹で育てていたママと、お腹で育てることを経験できないパパとでは感じ方が違うことも致し方の無いことなのかもしれませんね。
話を戻して・・・
私はお寺で供養しています。家からは少し離れています。
死産してから間もない頃は、赤ちゃんのところへ行っても何も考えられませんでした。ただ、ただ涙を流し、手を合わせ祈る・・・言葉にならない祈りでした。ごめんなさいとも、安らかに眠ってねとも言葉にならず、ただただ自分に対する後悔とどうしてこうなってしまったのだろうという気持ち。誰にぶつけて良いのかわからない怒りのような感情もあったように思います。でも、やっぱり自分が悪いのだという気持ちが最終的には支配していました。
まだまだ、悲しみや苦しみの真中にいた頃、私は一人で会いに行きました。自然と足が向きました。
ひっそりとした空間、ただただ祈りました。
子供の前にいくと無心になれる自分がいました。自分自身にとってとても大事な時間だったように思います。
供養というのは赤ちゃんが安らかに眠れますようにという願いがあると思いますが、ママやパパのためにもあるのかもしれません・・・
年月が流れていくうちに赤ちゃんの供養は私達家族にとって、生活の中の一部になりました。それだけ時間が経ったということなのでしょう。
子供の命日、お盆、年の終わり、新年、子供の日や近くに行く時など立ち寄れる時はいつでも会いに行くようになりました。
それは、息子が産まれてからも変わりません。これからも変わることは無いと思います。
来たよ・・・また来るね・・・言葉をかけることもできるようになりました。
無事産んであげたかった・・・という感情はやっぱり消えないけれど、変わらない気持ちはそのまま受け入れるようにしています。
息子にはまだまだ理解できていませんが、いつか自然と受け入れてくれたらいいなと思っています。
供養の考え方はさまざまです。
ママとパパが赤ちゃんに、そして自分達に良いと思う方法を選べば良いと思います。
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