阪神大震災体験談

1995年1月17日、M7.2の阪神大震災は起こりました。
いったい誰がこんな大地震を経験すると思ったでしょう。それも自分が。関東大震災がいつか来るとは良く聞きますが、近畿地方にそんな大地震が来るなんて・・・

阪神大震災では6433名の方がお亡くなりになりました。この場を借りてご冥福をお祈りいたします。負傷者は約4万人、避難者数は一時期30万人を超えました。お亡くなりになられた方の約90%は窒息や圧死、自宅が倒壊したり大型の家具が倒れてきた事によるものです。
古い在来工法住宅の被害が多く、家屋の被害は全壊が約10万棟、半壊が約14万棟。
ビルの倒壊や高速道路の倒壊も発生しました。
被害総額は9兆9268億円に上りました。仮設住宅では2000年3月末の撤去まで、最大4万6617世帯が生活しました。
ライフラインの復旧は最長で水道90日、電気7日、都市ガス84日かかりました。

お亡くなりになった方6433名の一人一人の人生や亡くなられた方の家族、周りの方の人生をこの地震が変えてしまった事を私達は忘れてはいけません。
どれだけ時間が経って街が整備されて復興しても、亡くなった人達が生き返る事は無い・・・戻ってくる事はありません・・・ご家族や身近な人を亡くされた人達の悲しみが癒える事は無いと思います。


阪神大震災体験談

私の出身地は兵庫県です。兵庫県の中でも大阪に近く震災で亡くなられた方も少なく、神戸中心地に比べると被害は少ない地域です。
被害が大きかった地域の方はもっと大変で悲惨な状態だったと思います。

地震が起こったその時刻、もちろん深い眠りの中です。自宅は木造一軒家。2階で母と私、別々の部屋で就寝していました。父は夜勤仕事の為いませんでした。
私は地震という事がわかりませんでした。寝ていてわからなかったのでは無く、何が起こっているのかわかりませんでした。経験した事の無い激しい揺れ。寝ている体が自分の意志とは関係なく揺さぶられます。木造のきしむギーギーという凄い音。家が潰れるのではないかと思いました。
私の中で地震というのはぐらぐらっとくる・・・これが私の地震です。ちょっと電気が揺れる位の。この時間寝ている人は多く、地震というよりは爆弾かミサイルが落ちたのでは?と思った人が多かったようです。

揺れがマシになった瞬間、一気に起き隣の母の部屋へ。お母さん!大丈夫!!??母の部屋の本棚は倒れていましたが部屋が狭かった事(4畳半)が幸いし、向かいの壁にぶち当たってストップ。母は布団をかぶり丸くなっていました。その上に本が散乱。けれど本だけだったのでけがも無く助かりました。
母に後から聞いた話ですが母はそろそろ起きる時間だった為、すぐ地震という事がわかったとの事。それに桜島近くの出身で地震は数多く経験しているので、とっさに布団をかぶったとの事でした。

暗い部屋の中母とゆっくり階段をおりて1階へ。玄関の下駄箱の扉が開き物が散乱。靴やカサを避けて1階和室へ。
ん?何この臭い?ガス臭い。すぐ台所に行き窓を開けました。元栓は必ず締める家だったので元栓は締まっています。激しい揺れでガス管から漏れたのでしょうか?
その後すぐ玄関のサッシを開けようとしました。やはり簡単には開きません。少し曲がってしまったのでしょう。力いっぱい引っ張ると開きました。これで私の爪は一部剥がれましたが、その時は痛みなど気づきませんでした。
とにかくそんな場合じゃ無い・・・これは大変な事が起こったなと思いました。

部屋を見ると台所の隣の和室に台所用品が沢山散乱していました。鍋などが隣の部屋まで飛んでいました。もし起きていて、あそこにいたら間違いなくけがをしただろう・・・

自宅も周りも真っ暗。懐中電灯・・・タンスの中にありましたが電池が入っていません・・・我が家と一緒でこんな家庭が多かったようです。電池が入っていない。電池がつかない。タンスに入れていたがタンスが倒れた・・・使い物になりません。。。

寒い中外に出ると近所の方も沢山外に出ていました。みんなざわざわ。
周りは一軒家が多い地区で倒壊した家はありませんでしたが、古いアパートはかなりのダメージを受けみなさん学校に避難すると言って毛布をかぶり歩いて行かれました。
近くに高校があり体育館が避難場所になっていましたが、避難しようと行った体育館は入れ無かったとの事でした。決して新しい体育館では無かったのでガラスも割れ、かなり危険な状態だから避難所にはできないとの事でした。
この体育館は私の出身高校でした。地震の後、体育館は取り壊され校舎も建て替えとなりました。
避難場所だからと言って必ずしも安全な訳では無いな・・・と感じました。

夜明け前という事で少しづつ朝日がさしてきました。明かりがあるだけでどれだけ安心できるでしょう。暗闇というのはほんとに不安を大きくします。

リンリン〜電話です。大阪に仕事に行っている父からでした。だいぶ揺れたけど大丈夫か?
うん、いろいろひっくり返っているけど大丈夫よ。そんな会話だったと思います。それから2日父は電車が動かない為会社に足止め。母と私の女二人、とても心細かった事を思い出します。
父が大阪から神戸方面へ電車で帰宅する時、一駅一駅神戸方向に向かう度に、被害が酷くなっていく風景を見て、大丈夫と言っていたがほんとに我が家は大丈夫だろうか?と心配になったと言っていました。大阪でもかなり揺れたけどこんなに酷いとは思わなかった・・・と。

リンリン〜私の彼氏から電話。現在の主人です。大阪に住まいのある主人が心配して電話してくれました。その後少し時間が経つにつれて電話は普通になったようでした。

続いて、ガラガラ〜玄関のサッシが開きました。市内に嫁いだ姉でした。
大丈夫?良かった。うちも大丈夫。でも食器棚の上に置いてあったお酒類が全部落ちて、割れて部屋中お酒臭くて大変!!(お酒を上の方に置いている方は下に下ろして下さいね・・・ )

開き戸の食器棚のある家はほとんどの食器が落下し割れたらしいです。部屋中ガラスだらけ。これで足をけがされた方も多かったようです。
どうしてかと言うと・・・開き戸は横揺れの場合あっという間に扉が開きます。また食器などが扉にぶつかり重みで開くというのもあるのかもしれません。扉が開くと当然のように、次は食器棚が倒れます。だから、扉が開かない事は転倒を防ぐ事にもなりとても大切な事です。
我が家は古いタイプで引き戸タイプでした。全ての食器が引き戸のところでストップ。数個割れただけでした。

そうだ、私の会社に電話しなければ。無事を知らせる。
会社は大阪市内テナントビル(6階)。会社は大丈夫だがロッカーの棚やファイルが全部飛び出したとの事。またその力によってロッカーそのものも一部転倒した。人がいたらきっとけがをしただろう。もしかしてあの時刻じゃなかったら、もっと恐ろしい事になっていたのかも。。。

リンリン〜母の兄弟から電話。同じ市内に住んでいる一人暮らしの母の姉。家が全壊したとの事。梁が落ちてきたがちょうど隙間に寝ていて、助かったとの事。ほんと良かった。
このおばさんは震災後しばらく仮設住宅に住んでいました。
おばさんの家はいわゆる昔の長屋でした。築年数もかなり古い。でも2階が無かった。平屋建て。きっと2階建てのアパートだったら助からなかっただろうと思う。
神戸では1階と2階で生死を分けたケースが多かった・・・
おばさんは一人暮らし。おじさんは数年前に亡くなって、子供達は独立している。長い間住み慣れた自宅だったので、近所付き合いもあった。
おばさんは家の中で動けなかったらしい・・・外から呼びかける声が・・・近所の人が一人暮らしであるおばさんを思い出してくれ、助け出してくれた。大きなケガもなかった。

数日して母がおばさんの家に荷物を運び出すために行った。部屋の真中にどーんと丸太のような梁が落ちていて、生きているのが不思議と言っていた。玄関付近だけがしっかり残っていたが、その他はもう崩れる寸前だったらしい。荷物を運び出す作業もとても怖かったと母は言っていた。


余震、その度にまた凄い揺れがくるかもという不安。ほんとに怖かった。えたいの知れない物への恐怖。

とにかく、母と二人で部屋の片付けをはじめる。幸い、大きな家具は転倒しなかった。置いていた方向が良かったみたい。市内でもタンスが倒れた家庭も多かった。とっても大きい、とっても重い洋服ダンスが斜めになって移動していたのには驚いたが・・・地震って凄い力。
2階の角にあった物置の壁がずれて空が見えていた。まあここなら生活にも支障ないな。家の見た目も一部壁の崩落とひびくらいだし、多少ひずんでるだろうけど大丈夫かな??

当然、電気、ガス、水道のライフラインはストップ。こんな生活は初めて経験する。どうなるのか想像すらできない。母と二人ぼーっとしていた。何をすればいいのか・・・初めての経験で思いつかなかった。

近所からコープが開いているらしいよ・・・と情報。我が家は食べ物の買い置きが無かった。もともとあまり買いだめしない主義の母。缶詰さえあまり無く・・・食べる物無いやん。
早速、私はひとり自転車に乗って20分、急いで買い物に行った。何でもいいから買おう。お店の配慮で全食品が無造作に出されていた。私も含めみんなが目の色を変えてカゴに入れる。とにかく買わなければ・・・切迫した状態。だいぶ商品も売り切れ、カップラーメンしか無かったが買って帰った。

電気はどれくらいだったか忘れたがかなり早く復旧した。テレビをつけてニュースを見る。まだあの神戸の悲惨な状態は放送されていなかった。その後テレビは突然つかなくなった。地震の揺れでどうにかなってしまったのだろう。心細い上にテレビもつかず・・・これだけでもっと心細くなった。押し入れにあった昔ながらのカセットデッキでラジオを聞く事にした。

水が出ない。トイレも困るな・・・近所のお庭の水道は水圧が低くちょろちょろ出ていた。お水を取らせてもらいとても助かった。

リンリン〜彼氏(主人)からだ。今、車でお水を買って向かっていたけど、大渋滞で行けそうに無い。原付バイクで出直すと。
私は危ないからとにかく家に帰ってと頼んだ。また大地震が来て巻き込まれでもしたら・・・
翌日、大きなリックサックに水のペットボトルを担いで原付バイクで来てくれた。嬉しかった。
その後被害の酷い隣町の友人宅に行った。水汲みを手伝ったらしい。
こんな時、車は大渋滞。まったく役に立たない。原付バイク、自転車が大活躍する。

ガスも続いて普及した。翌日だったと思う。かなり早い方。
水道は最後になったがそれでも3日ほどで復旧した。給水車が公園に来るという情報。母が水を貰って来ると言って自転車に一番大きな鍋をつんで出掛けた。給水車に並ぶ列はかなり長かったようだが、母の持って帰った水は鍋一杯。若いお兄ちゃんに笑われたとか・・・おばちゃんそれに入れるの??我が家にはタンクが無かった。入れ物が無いと水も貰えない。(タンク買いましょう・・・)
給水車はどこに来るかというと・・・避難場所や地区の大きな公園などです。家の近所とは限りません。私の実家には車がありませんでした。もし、タンクがあっても自転車ではちょっと難しいです。お水は凄く重いです。普段持つことなんてありませんが・・・

遠くの身内より近くの他人と言うように、災害の場合はお友達やご近所に頼るしかありません。そのために・・・という事では無く、日頃から人と関わることを負担に思わないようにした方がいいかなと思います。

夜になると暗い事もあってか不安で眠れない。余震がくる。怖い。しばらく恐怖感がありあまり眠れなかった。

3日目から会社に行った。大阪に出ると何もなかったよう。でもリックを背負っている沢山の人が神戸方面に向かっていた。
会社からは沢山の救援物資を頂いた。翌日には自宅まで届けてくれた。
会社に行くとみんなが無事で生きている事にほんとに感謝した。その後も全国各地の支店から義援金や物資を頂いて、ほんとに心強かった。
会社の寮も全壊したり、社内でも大きな被害にあわれた方もいたが会社が住宅なども早い時期に用意し、こういう時会社がしっかりしているとほんとに助かると思った。
全国的に支店があった事や、私の勤めていた支店の従業員の半分くらいは大阪に住んでいて、被害が少なかったからだと思う。
会社も従業員も全て被災した場合は、自分でなにもかもするしかない・・・
阪神大震災後、会社から防災リックが支給された。いつも職場の机の下に置いておくようにとの指示だった。


私の住んでいる街と隣の街には大きな河が流れていた。河を越えると被災状況もまったく違った。隣町は亡くなった方もかなり多かった。あの河一本で地震のエネルギーが違ったと言っていた。隣町はライフラインの復旧も月単位だったように思う。少しの距離で被害はまったく違った。



私が見たもの、耳にした事。
友人のお母さんは倒れてきたタンスで頭にけが。急いで病院に行ったらしい。けれどけが人が多すぎて頭が切れたくらいでは見て貰えなかったらしい。非常事態の時はできる限り自分達で対応しなくてはならないなと感じた。

古い木造住宅の被害はかなり大きかった。私の住んでいた被害の少ない街でさえ、昔からあるアパート、文化住宅は全壊が多かった。
それでも神戸よりも全壊の程度が違った。神戸ではぺちゃんこで屋根しか無い状態だったが、私の街の全壊はまだ人が助かるくらいの隙間が残っていて命は助かった人が多かった。2階建ての場合は1階が潰れ、2階が1階になっていた。
木造の一戸建てで1階が駐車場、その上に部屋があって2階を柱で支えているタイプの住宅は、柱が曲がったり折れたりして家が傾いていた。やっぱり壁で支える事に比べて柱は弱いと感じた。
またマンションでも1階が駐車場で柱で支えられているマンションは、柱が曲がったり折れていた。1階駐車場が潰れ、車の上にマンションが乗っていた。

山や川が近くにある住宅は被害が大きかった。かと思えばこちらは被害が多くて、こちらは被害が少ないなど地震の伝わる力が山や川で変わってしまうのか、近所なのに被害がまったく違う所があった。

被害の多かった地域でも、新しいマンションに住んでいた人はマンション自体は大丈夫だったが、ライフラインはなかなか復旧せず、マンションの5階以上に住んでいるとエレベーターは動かないし、それでも食料や重たい水(水道復旧最長90日)を運ばなければならず、生活が難しい状況が長く続いた。ライフラインの早い復旧は大事だと感じた。
都市部で災害が起こった場合、高層住宅などどうなるんだろうと思ってしまう。安全性を考えるとエレベーターはしばらく動かないだろうし・・・


家、食料、電気、ガス、水道がある当たり前の日常生活。そんな生活に慣れてしまっている。
突然振りかかった災害。非日常。この非日常が日常になった時の大変さ。
なんて普段の生活が恵まれているのだろう・・・そんな事を考えさせられた。
命が助かっただけで有難い。あんな大地震だったのだから。
でも人間は時間が経つと忘れてしまう。私もその一人。突然やってくる災害に備えておかなくては・・・そう思い直した。
     
息子が大きくなったら阪神大震災の事を話そうと思う。
もしかしたら、私達夫婦も生きている間にもう一度くらい大地震を経験するかもしれないけれど、これから生きていく息子は間違いなく・・・経験する確率の方が高い。
できればこのような大地震がもう来ない事を祈る・・・



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